薪割り

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暖冬ですが、我が家の薪ストーブはガンガン稼働中。だって使いたいんだもの。

体に優しい、ポカポカした暖かさに感激しています。

さて、この1月から2月半ばの今日まで、薪の消費量は1・5㎥ほど。

軽トラ満載を一杯半。

今年稼働し始めた我が家の薪ストーブに焚べる薪は一切作っていなかったので、販売店から購入しています。堅木を軽トラ1車で2万5千円ほど(配達代別)。これは噂に違わぬ出費だと、こちらも感ゲキしているのであります。

 

もとは、実家にある雑木林の維持管理を遊びの一環で薪として利用しようというのが薪ストーブ導入のきっかけ。

来年以降の薪をしこたま作ってやろうと意気込んで、桜、クヌギを切り倒し、割ってきました。

冬の澄んだ寒さが、斧を振る、火照る体にヒンヤリ気持ちよく、来年以降の足しにできそうなぐらいは割ることができた。

「山に入って、木を切り倒して、山が綺麗になって。というところから楽しめるとまた薪ストーブはおもろいんやけどな」

というのは、薪ストーブ屋のバイトのおっちゃんの言葉。

おっちゃん、楽しみながらがんばるでぇ

あー腰痛い

火入れ式

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本日、念願の薪ストーブ火入れ式でした。

今、築40年。RC造の家屋をリノベーションしています。

工事は佳境を迎え、あとは一気に走って、年末に引っ越し。というところまで来ていますが、振り返りというカタチで、この新居購入のドタバタ劇を綴っていけたらなぁと思っています。

さて。

普段から身近な自然を如何に楽しめるか?

を考えている僕にとって、新居への薪ストーブ導入は念願のものでした。

自ら山に入って薪を調達して、人が山に入ることで、山の植生が保たれ、人がそれを燃料に暖をとる。

その暮らしのサイクルに大きな憧れを抱いていました。

現実的な暮らしと、夢想的な理想の、その接点を薪ストーブというアイテムに求めていたのかもしれません。

だから今日をもって、自分の理想が現実になった瞬間なのかもしれない。

今日はその第一歩。

ウイスキーが進むぜ、チクショウ

冬は遊びの伏線回収

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春から夏にかけて、気温も高く、気分も活発な時期に、あれもやろう。これもやろう。と、風呂敷を広げてみたのはいいものの、なかなか取り組むことができずに冬を迎える。近年はこのパターンが多い。

 冬は、その伏線回収に追われる週末を過ごすのだが、今年は例年よりもずっと濃い一年になりそうだ。

 突然ですが、

家を買いました。

中古物件のリフォームです。

そして、念願の薪ストーブを入れることに。

 その薪ストーブの受け入れ場所や、家の一部をDIYすることに(大工ごっこ

 薪を自ら生産するために、持ち山の管理と薪づくりを始めることに(山屋ごっこ

 ふたつの遊びを、2行で書いたが、その工程は途方もなく多く、この冬でどこまでできるかわからないけど、できるだけ進めていきたいと思っています。

あ、そうそう。

子が一歳間近になって、子を背負って、山歩きも再開しました。

gokko.hatenablog.com

山登りというには、まだまだほど遠いけどできるだけ色んな所にいってみたい。

それらの様子を、文章で振り返ってブログにしてみる。

これもまた、遊びの一環なのだ。

秋の山へ

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長らく更新が滞っていました。

子が生まれ(めでたい)

職場がかわり(いそがしい)

よっしゃ、家建てるぞ!(いきおい)

ってなったりして、怒涛の日々が続いてます(いいわけ)

そんな中で、野外での遊びも細々と続けていて、最近、子どもを背負っての山歩きを始めました。

まだ背に揺られて気持ち良く眠るのを楽しんでいるようです。

それでも回を増すごとに、周囲を観察したり、垂れ下がった葉に興味を示して触れてみたり、すれ違う山人に愛想をしたり、週ごとに反応に変化があってこちらも歩きがいがあります。

その成長ぶりに、勝手に些細な季節の移りを呼応させて、感慨にふけっているのでアリマス。

休日。

午前7:30。

朝一のミルクをあげて、朝の離乳食を食べる10:30までの間。

今は、その三時間を家族のアウトドア時間にしています。

K君、齢10ヶ月。

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「僕のアウトドアは始まったんやで!」

夜明け

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キンキンに冷えた東の空から仄かな太陽が来る。

夏の夜明けとは全く違って柔らかに来る。寒さからくる、日差しに感じる温かさへの羨望か、冬の夜明けはとても嬉しく感じる。

冬のキャンプは良い。

良いのは分かっているが、逆に冬は籠りたい衝動に駆られることが多い

冬には、暖かい時に遊びに行きすぎて、やりそびれていることをしたり、読書や文章を書いたりする機会をわざと増やしている気がするのは気のせいか。

新しい興味を開拓したり、自分にしっかり根付いた好奇心をより深めたり、発展させたり。そういう時間にあてている。1年の4分の3しっかり遊んだことを思い返したりするのも、血と肉に変えていくには意外と大切だったりするのかも知れない。

その一環でブログの更新も、増えがちになる冬。前年の話が多くなるので、季節感が飛び飛びになって見るに耐えなかったら、こんな小さなブログを覗いてくださる方、すみません。

 

僕はキャンプに行ったり、なにかおもしろいことがあると文章を「一応」書き溜めている

キャンプ直後の直情的なチラシの裏から始まり。

それを1週間後に読み返したら急に恥ずかしくなって、大幅に削除してボリュームのなくなった髪。失礼。紙切れ。いや、それこそ、初期衝動から大切な部分だけそぎ落とされて、最後に美しく残ったバーコード。いや、失礼。最後に美しく残った必殺の三行ではないか!?

いやいや、これは違う。薄い。と、もう少しだけ加筆してみてたら、長期間、寝かせすぎて、説明がくどくなりすぎた発酵しすぎたキムチ。その他。

それらをまた見返して修正したものが、愛用するガラケーのメモ帳にはたくさん入っているわけです。

その中でも、毎回「まぁ、これなら」っていチラシの裏と漬物を和えたようなハイブリッドな駄文のみ載せていく所存であります。後半、語尾が読んでくださる方向けの丁寧語に変わっていくあたりが、申し訳なくなってきた小さな心臓を表す駄文たる所以でございます。

と、いうわけでこの言葉を言いたいがためにずいぶんと長くなりましたが、

 

 

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします

 

ソロキャンプの夜

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誰かを誘うのが、なんとなくめんどくさくて、ソロキャンプに行くことになった。

しかし、一人でキャンプの用意をするのもこれまためんどくさい。

めんどくさいづくしのまま、当日を迎え、本当は「夜明けとともに漕ぎだすぞ~」なんて意気込んではみたものの、朝9時、悠長に家でパジャマのままトーストをかじっていた。

「行かなきゃ後悔しそうだなぁ~」と、無理やりに家をでた。

キャンプの下準備に関して、妻の手際の良さは本当に感心する。

手早く何種類かの野菜を切って、ジップロックにいれて、

「コッヘルにでもぶちこんで鍋にしなさいよ」


キャンプ地に向かう道中、だんだんと気持ちが乗ってきた。

なんなら、もう少し早く出ればよかったとすら思うから都合が良い。

スーパーで水や食料を買い足して、今夜のメインはブロックのベーコンを焚き火で直火焼きしてかじることにした。これまた時間短縮メニューである。

15時すぎ、キャンプ地に着くと、11月の下旬とは思えないほど暖かい。

流木がふんだんにあるこの浜辺は薪には困らない。

薪を集めて設営が終わると、もう16時を回っていて、日暮れまでカヤックを出して釣りを楽しんだ。

カヤックを浮かべると、いつもより透明な海に驚いた。底の岩が鮮明に見え、小魚の群れが光る。

一年のうちで、そう何度もない、最高のコンディションの予感に、釣りそっちのけで明日の潜りが楽しみで仕方がなくなってきた。


心ここにあらずの釣りはベラを二匹釣り上げたところで、針が折れて終わりにした。

カサゴでも釣れれば塩焼きにして、焚き火料理に華を添えれたが仕方ない。

夜の帳に向けて、テント回りをもう少し使いやすくしていく。

 

大きな丸太の流木を2つ並べて、その上に網をおく、今夜のキッチンが完成した。

浜に転がっていた、漁連のプラスチックの箱をテーブルに、ヘリノックスの椅子を組み立てる。今夜のダイニングが完成した。

椅子から手の届く範囲に薪を積んで、手元にガスランタンをつける。今夜のリビングが完成した。

あるものをできるだけつかって、コンパクトに使い勝手良く。

キャンプサイトは質素につくるのが好きだ。道具の見本市みたいな仰々しいキャンプにはまったく興味が沸かない。

最小限にこそ、自然を近くに感じられそうな気がしてならない。お酒以外は。

黄昏時、早速、ビールの栓をあけて焚き付けから上がる炎を見つめた。

小さなコッヘルに白菜、鶏肉、豆腐を突っ込んで、塩味の鍋のもとで煮る。

出汁をすする頃には辺りは暗く、今日の焚き火も美しい。

孤独だった。

でも嫌ではなかった。魔が差して、暇そうなやつに電話して呼ぼうと思ったが、踏みとどまった。

心地よい孤独感を手放したくなかったのだと思う。

東の空から月が昇る。偶然にも満月で、焚き火に負けぬほど真っ赤に燃えている。

ゴロタ浜の、石のひとつひとつが影を落とすほど強い光が照らす。

月のでない夜の、のっぺりとした闇の世界ではなくて、立体的で美しい浜辺の様相だった。

寒くなれば火を大きくして、鍋の出汁を啜る。

腹が減ればベーコンを手掴みでかじってまた網の上におく。

いい感じの炎を維持して、いい感じに薪を塵にしていくのは立派な遊びだと思う。

少しパズル的な要素があってつい夢中になってしまう。

マドロミの中、ホダ火まで灰にするところまでこの焚き火遊びを楽しんで、寝袋に潜り込んだ。

23時、ずいぶん夢中になってしまった。

秋の遠征

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秋の乾いた風に乗った潮の匂いが鼻をくすぐる。
前夜は、近くに釣りにきていた職場の先輩たちと焚き火を囲んだ。夜も更けて、日のそばで横になっているといつの間にか眠ってしまっていた。
火も絶えたころ、寒さに目が覚めてシュラフにもぐり込む。
6時半に目が覚めると、眩しい朝日と、海はこれ以上ないベタ凪だった。

抜けおきに熱いコーヒーを入れて、のんびり昨夜の片付けをする。

朝のわずかな時間、カヤックで釣りに出て、今日の朝に合流する友人が来るまでの時間を過ごす。

昨夜の宴の友は、早々に釣りにでかけてしまって一人だった。

午前10時に友人と合流。早速カヤックを出した。
鏡のような水面を、カヤックは飛ぶように進む。

外洋に面した、いつもの浜に着くと、フィンを履き、マスクをつけて早々にエントリー。
フードが暑くもなく、冷たくもなく、絶好の季節を感じた。
海中の魚影も濃く、少し濁りを残しているが、問題ない。
少し泳いだところで相方と別れた。

僕らがえぐれと呼んでいる、魚影の最も濃い根があって、
それを左回りと右回りでそれぞれアプローチしていくのが、いつの間にか定番のコースとなっている。

左回りは、浅場から一気に深場に落ち込んだ先に、えぐれ一のお魚スポットがある。
こちらは相方が。

最初から深さがあって、底で息さえもてば広く魚をサーチできる右回りを僕がいく。
言葉をかわさずとも、互いにいつの間にかそのコース取りになっているあたりが相方たる由縁だと思う。

根にとりついて潜行。ファーストダイブは体がまだ慣れておらず、息があまり持たない。それでも魚を散らしてしまう前の、踏みあとつく前の雪原のような海中は最も魚の気配を感じられ、気合いだけは一番入る。

水深10mほどでボトムに着低。
顔あげるといつもは見られないハタ系のなにが岩の上に鎮座している。
しかし、撃てる位置を移動すると水の揺らぎに反応して穴の奥へ逃げてしまった。
期待が膨らむ。

その後、何度か潜行を繰り返して右回りにボトムを探していくが、良い出会いはなく、左から来る相方とすれ違った。

引き返すか迷うところであったが、一旦散らしてしまった魚が戻ってくるのを期待して、このまま右回りに根を一周することにした。

えぐれの裏側は水深が浅く、期待が薄い。水面から流し見で魚影を追うが、一度も潜らぬまま根を一周ぐるりと回ってしまった。

さぁ二週目と、いうところで少し攻めかたを変えてみようと思った。
えぐれの裏から潜行して、ボトムを這って、岩肌を回り込んでいく作戦だ。
真上からいくよりも水の動きが少ない。
意を決して潜る。
左側面そびえる岩肌を回り込んで、視線がえぐれの方に向いていくその時、目の前を大きなイシダイが横切った。
僕の気配を感じたか、ひらひらと距離をとっていくその時、もう手から銛は放たれていた。
いた、と見てから獲れると判断するまでの一秒の間が凝縮されて、獲れると思った時にはすでに放たれた銛はイシダイを貫いていた。

暴れるイシダイを引っ張りあげてナイフで絞める。
一連の動作の中で達成感に満たされた。
至極の一匹に満足した僕は、早々に切り上げて帰路につく。
浜で一服をして、ふらふらと帰り際までくまなく魚を探す。
相方を見て、ああボウズっぽいなぁとクーラーから飛び出すイシダイに目をやってニヤリと笑った。

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一晩寝かせて、鯛しゃぶに